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天才×10<コミュニケーション

さて。最近ツイッターに連投していたのがこれ。

天才・秀才が10人集まっても、コミュニケーションがなければ10人並み以下のものしか作り上げる事ができない。10人並み以下の私はそこでコミュニケーションを作ろうと思う。

コミュニケーションがないことを「ない!問題だ!」という人間には興味がないしなりたくもない。なくて問題なら自分が作れば良い。自分は天才・秀才がつくる10人のコミュニティに入ってしまったのだから責務だ。そしていつか10人並以上のものを作れる集団にしてみよう。

『諦観』という毒がどれだけ自分を疲弊させるものかというのは、身を以て経験している。しかし、『諦観』は『客観』ではない。客観するのならば「やるべきだ」ということがわかる。楽しめ、苦しんで楽しめ。それが生きているって事だ。


私の勤める会社には、経歴華々しく、「有能」とされる人が多い。
知的かつ高い技術を持った人ばかりだ。

そこで私が感じたことは、
「しかし、制作物は三流。」

これはもう入社当時から感じていた事だが、コミュニケーションが圧倒的に少ない。
それぞれ分担してやっている人が、それぞれ解釈して、それぞれ勝手に作っている。

「なぜこうしたか」
「なにをやりたいのか」

という意志がチームとして統一した認識を持てていないままプロジェクトが進行していると感じる。
そしてそれを横断的につなげるためのコミュニケーションを取れる人間がいない。
コミュニケーションというのは、単に「会話をすること」だけを指すものではない。

それぞれの頭脳や技術がいくら高くても、そこからコミュニケーションを抜いてしまうとバランスが悪いものが出来上がる。
正に、「全員がアカレンジャー」なのである。

私は、頭脳や経歴でいうのであれば、なぜそこにいるのか解らない人間である。
確かに経験はあるが、イコール頭脳や技術、経歴があるということにはならない。
だから彼らに対して何か直接的にアドバイスをしたりするようなことはできない。
しかし、そんな言い訳は何にもならない。

自分がそこに存在しているという現実と、存在するからには「良く」すべく行動すべきだということ。

あの会社の体質について、冷静な人間は、ある程度「諦観」しているようだが、
私はそういった「諦観」というのは決して「客観」とは違うと思う。
上から俯瞰して眺めているだけだ。

だから、私は「客観」的に見て「行動」したいと考えた。
私に出来る事は、コミュニケーションを取り、彼らに足りない「バランス」を付加し、
より良い制作物にしていくことだ。

彼らを変えるのではない。
彼らが形成する“組織”を変えたいのだ。
組織に必要なのは、天才よりもコミュニケーションだと私は感じている。

これらは最近の夫との色々なやり取りについて、
「コミュニケーションスキルを高めるチャンス」
と思っている事とつながる。

頭脳明晰、華やかな経歴を持つ彼らのコミュニケーションを補うには、
よりいっそうのスキルアップが必要である。
どんな考えの、どんなコミュニケーション方法をとる人にも、
無理なくコミュニケーションを取らせるには、
会話レベルを上げるだけでなく、
それを相手にする人間のコミュニケーションスキルが高くなくてはならないからだ。

10人並以下の頭脳を持った私に出来る事は、天才達と競うことではなく、
天才達をつなげてバランサーとして存在するほうが現実的かつ効果的であるということ。

今やっているトホホな感じの案件も、私が入る前につくったものよりも良いものに仕上げて
小さく、確実に証明していきたいものだ。

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2010.5.30 文言改訂



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